日高まきば文芸室

『様似、そして襟裳岬へ』作・船 旅人

『様似、そして襟裳岬へ』

今度の旅の目的地は新冠だけではなくて、実は様似に行くことでもありました。時間が許せば、襟裳岬までさらに足を延ばそうとも思ったのです。

が、結論から言えば、新冠と静内より先へ進む前に、この地の魅力に引きずられて、様似への旅は諦めました。その意味では、日高本線が未だに途切れたままなのが、少し残念ではあります。鉄道が走っていれば、少し遅くなってでも様似へ足を延ばすことが出来たと思うからです。

何故、様似に?

これも相当にマニアックな話です。

これまでも、北海道に行くのであれば、仕事のついでに高田屋嘉兵衛の足跡を訪ねておきたいと、函館(箱舘)、根室、根室海峡と、嘉兵衛所縁の地を追加して出かけたりしたものでした。

その理由は、「菜の花の沖」への旅です。多分日本で初めて北海道を舞台にした小説。司馬遼太郎の描いたその場所を訪ねたかったからです。

「何故、海に囲まれた国なのに、海運が発達しなかったのか?」

筆者が、航海術について興味を持つようになったのも、すでに故人となられた日本郵船のK元社長にこんな質問を投げかけられて、答えに窮したからです。

鎖国政策を強固なものにするために江戸幕府は、海外に自由に出かけて行くことを禁ずる目的で、一枚帆以上に操船性も良くスピードも出る帆船の建造を禁じた。

彼の答えは、そんな話であり。続けて、「菜の花の沖」を読みなさいというアドバイスだったことを覚えています。

高田屋嘉兵衛は淡路島に生まれ、それまで大きくても一千石までであった北前船を、特大の千五百石船として建造し、「辰悦丸」と名付けました。大坂から北海道へと向かうためには、遠距離で、海の荒れることも多い日本海航路を走破しなければなりません。それには大型であればあるほど安全であり、物流効率も良い。快速を誇った「辰悦丸」は、その北前航路での交易に活躍し、嘉兵衛は名を成すことになります。

その後、コンブなど海産物の宝庫である国後・択捉への航路開拓を命じられ、東北海道への航海に赴くのですが、函館から向かうのに、最初に選んだ寄港地が様似でした。その理由は、この地で幕命により「様似山道」と呼ばれる道路建設の任に当たっていた最上徳内に会いたかったためといいます。

当時としては容易ではなかったであろう「大海」航海を苦も無くこなして渡ってゆく。

船の来航を待ち望んでいた徳内は、「そなたが来てくれるとは思わなかった」と大喜びします。徳内は、それまで松前藩が、差別的に扱っていた蝦夷、つまりアイヌを日本人に同化させ、十勝に通じる道路建設という公共事業を担っていたわけです。

話は、このあと根室を超え、国後島の泊港へ向かった嘉兵衛が、ロシアの軍艦に捕まり、ペトロパブロフスクカムチャッキ―へと幽閉されるという、この小説の山場へと進んで行くのですが、この文のテーマではないのでここで止めておきます。

結局、私は、様似まで足を延ばすのを、断念しましたが、それは新冠があまりにも心地よく、ここに留まりたいと考えたからです。

その後、家に帰ってから知ったことですが、新ひだか町、つまり新冠の隣町であり、静内と三石町が合併してできたこの町に、高田屋嘉兵衛翁の碑があると聞きました。

どうやら、その碑を訪ね、そして様似と襟裳岬に出かけるという宿題を残して帰って来てしまったようです。
そんな宿題を仕上げるためにも、今度は再開した日高線で行きたい。次の機会があるようにと、そう願っています。

作・船 旅人

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1949年生まれ。専門新聞社の社長退任後、趣味の旅行を軸に文筆業を目指す。特に船を利用した旅を好む。

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