日高まきば文芸室

『ダイシンボルガードと嶋田功のこと』作・船 旅人

ハイセイコーより先に、筆者が最初に覚えた馬の名はダイシンボルガードでした。1969年のダービーを制覇したから、いえそれだけではありません。そして最初に知った騎手の名は、増沢末夫ではなく、三石(新ひだか町)出身の嶋田功でした。
 
69年とは、筆者にとっても沢山の思い出が残る年です。この年、団塊の世代のやんちゃぶりが行き過ぎたせいか、東京大学と東京教育大学の入学試験を中止に追い込み、一年浪人していた筆者にとっては、さらに狭くなった門(ゲート)をくぐらねば、人生のレースに参加できない、という切迫した状況に追い込まれていました。

そして結果はふたを開けるまでもなく、偏差値上位のライバル達が、玉つきのように押し出され…。後がない筆者は、まあなんとか最終列車に間に合うという感じで、滑り込むことになったわけです。
 
ですが、入ってみると大学はすぐにバリケードで封鎖され、授業はストライキの毎日! 

学費値上げに反対し、教育の帝国主義的再編や、沖縄返還、安保改定に反対し、大学は解放区状態?というより、前年の新宿騒乱事件や、その年の安田講堂事件などの火はまだまだ鎮火せず、燃え残っていたという感じでした。

別に入学してもやることもなく。それはキャンパスで知り合った新しい友たちも同じ。5月も下旬ともなると、日曜日でも大学周辺に下宿する学生らが三々五々集まって来て、麻雀や飲み会。同時に興味は、その年の皐月賞、ダービーへと移って行きました。

筆者は、馬券を買ったわけでもなければ、レースを注視したわけでもありませんが、友人とともに囲んだ雀荘で、競馬好きのマスターが流す日本ダービーの実況放送を聞くことになりました。

当日の競馬場は「最悪の重馬場」。何かが起きる?という不安な空気を、ラジオの実況は伝えていました。

1番人気は、嶋田功が乗るタカツバキ。

もちろん6番人気のダイシンボルガードなんて、僕らは知る由もなかったのですが、レースが始まるや、ラジオは「落馬、落馬、タカツバキでしょうか」と。興奮して叫ぶアナウンサーの声が聞こえてきたのです。

前がふさがれ、立ち上がったタカツバキの嶋田功が落馬、3番人気のミノル以下をぶっちぎって、本命なきレースを征したのがダイシンボルガードだったのです。
 
雀荘のマスターも興奮して「何だ、これ!」と言ったきり絶句していました。

ですが、エピソードはそれだけでは終わりませんでした。
 
――ダイシンボルガードのゴール寸前、厩務員が狂喜のあまり絶叫しながらコース内に突入。にも関わらず場内は和やかな空気に包まれ、厩務員も厳重注意程度の制裁で済んだという。また、レース後騎手の大崎昭一は観客により胴上げされた(ウイキペディアより)
 
ラジオで聞いていた筆者たちには、この時何が起きていたのか、さっぱり分かりませんでした。

競馬場にやって来たファンからすれば、本命が落馬することへのショック、続いて厩務員の旗を振ってのレース場への乱入。彼は「僕の馬だよ!」と叫んでいたというのです。

そして筆者の耳には、実況アナウンサーの叫ぶ「ダイシンボルガード」という強そうで、勇ましい名前だけが残り続けたのでした。

雀卓を囲んでいた友人が言い放った「旗を振るやつは大学だけじゃなくて、競馬場にもいるんか」という軽口に反応する友もありませんでした。

言うまでもなく、その後、嶋田功は73年のダービーでタケホープに騎乗し、ハイセイコーを破ることになる。歴史に残る騎手のひとりとなるのです。

船旅人

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1949年生まれ。専門新聞社の社長退任後、趣味の旅行を軸に文筆業を目指す。特に船を利用した旅を好む。

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