日高まきば文芸室

『オグリキャップのこと』作・船 旅人

さてオグリキャップです。

実は、筆者は現役時代のオグリのことは、ほとんど知りません。すでに会社勤めを始めて10年近く経ち、自らが人生のレース場に立って、一心不乱に自分の競争を戦っていたからです。

ですが、このころ入社して来た後輩記者が、先輩に輪を掛けた呑み助で、競馬狂。筆者と同期の競馬好きとも意気投合し、競馬談議に日々を過ごしていました。

その後輩がはまったのが、オグリキャップでした。たまに一緒になる呑み屋で彼らから聞かされるのは、地方競馬上がりで中央に転戦して来たオグリは、まさにハイセイコーの後継馬であること。そして寺山修司が生きていたら、ぞっこん入れ込むであろう、芦毛の馬であること。そして何よりも強いこと。など、常に同じような話なのに口角飛ばすように盛り上がる彼らに、呆れながら、付き合っていたものです。

有馬記念2勝目を掛けた最後のレースに勝ったことで、オグリの人気はここから再び盛り上がりました。引退翌年の1991年5月、オグリが放牧されていた新冠の優駿スタリオンステーションには、6000人もの見物客が集まったというエピソードがあるそうです。

筆者が初めてオグリに出会ったのも、この新冠の牧場でした。多分1995年頃のことと記憶しています。

寡黙で大人しかった二人目の息子が突然「北海道に行く、日高ケンタッキーファームでアルバイトする」と言い出したのです。大学は夏休みだし、もとより異論などありません。

しかし。帰ると言っていた日にちが過ぎてもその気配なく、そのうちに「こっちで住もうかと思っている」なんて…。

「おいおい、なんだよ!」と、たしなめてもらちが明かず。車に飛び乗り、仙台から苫小牧行きのフェリーに乗りこんだのでした。実は、これが筆者の初めての日高体験でした。しかもハイセイコーがまだ近くで放牧されていると聞いていましたから、帰りには、ハイセイコーを見ようという気分も手伝って日高ケンタッキーに宿を取ったのでした。

「どうしても北海道に移住する、というのなら、少なくとも大学を卒業してからにしろ」というのが筆者の言いたいこと。彼は、何も反論しませんでした。

後から同行者に聞いたところでは、「なんだよ、中退なんてオヤジと一緒じゃないか?」と呟いていたと言います。

その後、札幌で探した下宿先に断られて、彼の初めての冒険は挫折します。

さて私は、ハイセイコーに会うために新冠に向かわねばなりません。

そのハイセイコー牧場に向かう直線道路に車が向いた時の驚きは忘れられません。

どこまでも、それもまっすぐと続く一本道。秋がやって来ようとしていた日高の空はひたすら晴れて高く、そして、この道の両側にはマキバが続いていて、馬が草を食んでいる。

「北海道に住みたい」と、彼は筆者には言いませんでしたが、その気持ちは十分すぎるほどに理解できたのです。

結局ハイセイコーには会えず。

ですが優駿スタリオンで巡りあったオグリキャップの白い馬体と風格には圧倒されたのを覚えています。本当に手の届く距離で、放牧場を歩くオグリキャップ。競馬馬の美しさに魅せられた記憶があります。

その後息子は東京に戻り、そしてインド、バンコクと放浪し、1年留年後、大学を卒業しました。

そして、彼の娘がこれから大学受験です。果たしてどんなレースに向かって行くのか。

ゲートインはもうすぐです。

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投稿者の記事一覧

1974年2月4日生まれ。
『にいかっぷ新聞』|代表:若勢 文太/bunta wakase
新冠町地域おこし協力隊員

馬に魅せられ東京から北海道日高地方の新冠町へ移住。
この地が世界で一番暮らし心地の良い町だと信じてやまない。

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