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僕は某牧場の寮に共同生活で数ヶ月間暮らしていたことがある。日本人より外国人の方が多かった。
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キッチンもお風呂もトイレも一緒。『これはチャンスだ!』と思った。
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彼らはそれぞれに母国語を持っているから当然会話は『英語』になる。
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すぐに仲良くなって僕が『英語を教えてくれ!』と言えば、彼らは『日本語を教えてくれ!』といった感じだったけれど、その時には自分の『英語力のなさ』に愕然としたものだ。
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それでも『教え上手』な仲間がいて、ワザと2人で声をかけあって喋っているうちに『便利な言葉』がいくつかあって、その内に音楽や食べ物、宗教や馬の話をするまでになった。
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もちろん英語がペラペラになったわけではないけれど、英語で話をすることが楽しくなった。
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で、改めて思ったものだ。僕が受けてきた『英語教育』ってなんなんだろうって。
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使いもしない英語文法やら定型文に溢れた教科書に、読めもしない発音記号。
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会話する楽しさから教えてくれれば、また違った『英語』の授業になっていたのかもしれないなと。
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『英語』って授業じゃなくて『会話』って授業にすればいい。『英話』でもいいや。
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結局僕は高校時代、2年間くらいほぼほぼ『英語』の授業に出席しないという行動をとることになる。今から思えば先生には申し訳ないことをしたなと思う。授業は出た方が良いからね!(笑)
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結局マトモに授業に出たのは『体育』と『哲学』と『古文』ぐらい。面白い授業だけ出て、あとは街に出かけて⋯というダメな高校生だった。教科書を持っていなかったのだから。
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逆に大学では遊びもせずに『授業』には全て出席して、終わってからも『図書館』に行って、わからないことがあったら『教授』のとこに行って質問をするっていう周りとは真逆の行動をとることになる。大学では、授業に出てくる学生は稀だった。『合コン』みたいな物にも参加した記憶がない。『風変わりな人』と思われていたと思う。とにかく『勉強』が楽しかったから『遊ぶ』なんてもったいない。『寝る間』も惜しかった。間違いなく、高校の時に遊び過ぎた(ヒマを持て余した)反動だと思う。
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で、『勉強』をすればするほど『話し相手』がいなくなり、とうとう友達は他の大学の大学院生が書いた論文のみになってしまった。もちろん会いに行ったりはしない。『論文』との対話のみだ。
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で、ちょっと『このままいくとやばいな』と思って大学に『休学届』を出して、何処かで住み込みのアルバイトをして学費を稼ごうということにした。最初に決まったのが『知床』のホテルの皿洗いの仕事。『北海道行き』にワクワクしていたら或る日求人誌に『石垣島のヨットの乗務員』という募集を見つけてしまった。
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結局選んだのは『石垣島』。たまたま立ち読みした求人誌で『石垣島』との出会いが生まれちゃうんだから、人生ってつくづく面白いなって思う。
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僕は『石垣島』でその後も暮らすことになる。一旦東京戻って大学を出て。
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今は新冠で暮らしているけれど、暮らし心地の良さは断然こっち(笑)
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もちろん『石垣島』も大好きだけど。こっちのが『心地』がいい。
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最初に石垣島に行った頃は、ロシアンパブで働いている女の子とたまに来る米兵くらいしかいなかったけど、今はどんな感じなのだろうか。